大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和25年(う)803号 判決

控訴人 被告人 中野羨元

弁護人 岩村辰次郎

検察官 小泉輝三朗関与

主文

原判決を破棄する。

本件を水戸地方裁判所土浦支部に差し戻す。

理由

本件控訴の趣旨は別紙被告人名義の控訴趣意提出書と題する書面及び弁護人岩村辰次郎名義の控訴趣意書と題する書面にそれぞれ記載の通りである。これに対して当裁判所は左の通りに判断する。

弁護人論旨第一点について。

刑事訴訟法が第三百十九条の規定を設け、且つ同法第二百九十一条第二項及び刑事訴訟規則第百九十七条の手続を定めた所以のものは、久しく権威主義的訴訟制度の下に推移して来た我国において、法的自覚の十分でない被告人が不用意の中にその防禦権を不当に損なわれることがあるのを深く憂えたからに外ならない。それ故に、裁判所は刑事事件を審理するに当つては、常にこれら規定の趣旨に則り被告人の不熟練を補つてその防禦に万全を尽くさせるように力め、かりそめにもその不用意の中に蒙むることのある不利益を看過するようなことがあつてならないことは勿論である。従つて、裁判所は、公判期日において被告人が犯罪事実に相違ない旨述べたような場合においても、その陳述が果してその真意に出たものであるかどうか、殊に犯罪事実の内容である各要件を十分認識理解してこれを述べておるものであるかどうかを検討した上でなければ容易にこれを受容れるべきではなく、若しこれについていささかでも疑問があるようなとき又はその後の取調によつてかかる疑問が生じたようなときには、或いは具体的に詳しくこれを問い質し或いは反対質問を試みる等の方法をもつて、十分にその真意を釈明することの労を厭うべきではない。従つて、若し右のように公判期日において被告人が犯罪事実に相違ない旨冐頭陳述をした場合において、その後の証拠調の結果により右陳述について社会通念上その真意を疑わねばならないような事情があらわれたにも拘らず、裁判所が何等右のような措置に出ることなく漫然その審理を終え、しかもこの陳述に基いて犯罪事実を認定するようなことがあるとすれば、それはただにその認定の結果が誤となるばかりでなく、それ自体すでに真意に出たものでない疑のある自白を証拠とする違法を冒すものと言わなければならないわけである。記録によると、本件において被告人は原審公判期日の冒頭に裁判所から刑事訴訟法第二百九十一条第二項刑事訴訟規則第百九十七条第一項の事項を告げられた上被告事件についてはその通りであつて別に争う事もない旨述べ、原審はこの陳述と各被害者の被害届被害始末書とによつてその判示する窃盗事実を認めたものであることが明らかである。しかし、原審において右被告人の冒頭陳述の後証拠として順次朗読せられた書類の中の被告人及び原審相被告人谷島照蔵の各供述調書の内容は所論に詳細援用する通りであつて、これによれば、公訴事実中特に第一、第二事実の犯意については被告人の右陳述と甚だしくその趣旨を異にするものであり、しかも原審が取調べたその他の各証拠に照らしてもこれらの記載が不合理で信用できないものとは容易に考えることができないものであるから、これを前記被告人の冐頭陳述と考え合せるときはその間の不一致ひいて右冒頭陳述の真意に出たものであるかどうかについて何人も疑を起さないわけにはいかないものである。従つて原審としては、よろしくこの点に思を致し、前述のように重ねて被告人に対して必要な釈明を行うべき筈であつたのに拘わらず、原審はその後の取調においても犯罪事実については少しも被告人の陳述を聴くことなく、漫然その審理を終て、しかも前記のように、判決に当つてこの真意に出たものであることの疑われる被告人の冒頭陳述と被害届等とのみを以て犯罪事実を認めたものであるから、原審は所論のように審理を尽さず経験則によらないで事実を誤認した違法があると同時に、真意に出たものでない疑のある自白を証拠とした違法があるものと謂わなければならない。而してこれらの違法はいずれも原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決には刑事訴訟法第三百八十二条及び第三百七十九条に当る事由があるものであつて、論旨はその理由がある。

仍つて爾余の弁護人及び被告人の各論旨については判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第四百条に則つて主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 佐伯顕二 裁判官 久礼田益喜 裁判官 仁科恒彦)

弁護人岩村辰次郎の控訴趣意

第一点原判決には審理不尽及経験則を無視した採証法則違反と重大な事実の誤認の違法がある。

原審は判示第一及第二の犯罪は被告人と原審相被告人谷島昭蔵との共謀によるもので被告人はその共同正犯であると認定し、その証拠として各被告人の原審公廷に於ける自供、各被害者の被害届、被害顛末書を採用したことが明らかである。原審公判調書を検討すると、原審は検事が起訴状を朗読した後、被告人に対し、被告事件に対しその意見を問ひ、被告から「被告事件についてはその通りでありまして別に争うことはありません」との答えを得たのみで、被告人並に相被告人に対し、犯罪事実の詳細について何ら具体的に審理した形跡を認めることができないから、原判決に「各被告人の当公廷に於ける自供」というのは、右被告人の冒頭陳述を指したものと認めなければならない。ところが判示第一の事実について、被告人は警察及検事の取調べに対し一貫して共犯の事実を否認して、谷島単独の犯行である旨主張して居り、谷島も亦、警察及検事に対し自分が一人で盗んで来たもので中野は手を下したものでないと供述している。右の事実は昭和二十四年十月二十五日附被告人の検察事務官に対する第一回供述調書に「高須がアキスをやつたので三人一緒に居たと云うので九月二十九日か三十日頃と思いますが、捕つて下妻の刑務所に入つたのであります、それで本月十日に釈放になつたので谷島と二人で相談して高須は今迄俺達と一緒に居たんだ、何とか保釈でも致してやらなくてはならぬ、それには一万円位金がかかるから何とかしようと話合つて居りました、然し谷島は普通の仕事をしたんでは一万円なんかとても出来ないと申して居りました、それで本月十二日結城郡の中結城の辺り迄来た時、俺一寸行つてくるからと申して一人で行きましたので私は其の辺で一人で待つて居りますと、しばらくして大きな荷物を三つ持つて来ました、それで私はこれはやつて来たなと思いましたが谷島はこんな大きな荷物を持つているとあぶないから何処かへかくそうと云うので二人してお宮の様な家へかくしたのであります、保釈金の時衣類でも盗んで金を作るとの相談はしませんでした、普通の仕事をしては一万円なんぞ出来ないと云う様な話は致しません、一寸行つてくるからと申して行つたので盗みに行つたとは思いませんでしたが、帰つて来た時大きな荷物を持つて来たのでこれは盗んだんだなと思いましたが保釈金の事もあるので一緒になつてかくしたのです」との記載及び同年十月十五日附司法警察員に対する被告人の第一回供述調書並に同年十月十九日附同第二回供述調書、同年同月二十七日附被告人の対検察事務官第三回供述調書中の右同趣旨の各記載と昭和二十四年十月二十六日附検察事務官作成の谷島昭蔵第二回供述調書中に同人の供述として「本年十月十二日に衣類を盗む時でありますが高須を保釈で出す事を中野と相談したのであります。今迄一緒に居たんだら何とかして高須を保釈してやりたい、然しそれには金が一万円ばかり必要だから普通の仕事をしてはとてもそれだけの金は出来ないから衣類でも盗んで売つて金にしよう等と話し合つたのですが別にその時は何時何処で盗もう等と云う話はしませんでした、中野も衣類等を盗んで金にする事については承知して居りました、それで私が目的の家を見て俺一寸みて来るから待つて居てくれと申して盗みに行つたのであります、然し中野としても、その日の午後に高須の保釈金の問題で相談したばかりの時ですから私が一寸様子をみて来るからと云えば私が盗みをやるのに出て行つたと思うのが当然であつて盗みに行く事を知つていたと思います、それですから私が盗んだ衣類を持つて来た時風呂敷もないしこんな大きな荷物を持つて行つては怪まれるから、かくしておこうと云つた時に中野は何とも云わずに、そうかと云つて一緒にかくし場所を探し、お宮の様な処へかくしたのです」との記載によつて明かである。(尚谷島の犯行の詳細については記録六八頁、昭和二十四年十月十五日附司法警察員作製同人の第一回供述調書御参照)右によると原審相被告人谷島が被告人に対し「俺一人で行つて来る」とか「見てくる」とか云つて被告人を待たせて置き自分一人で判示物件を盗んで来たもので被告人が全然その実行行為に加担しなかつたのは勿論見張をしたものでもない事が極めて明らかである。只谷島の供述によるとその前に衣類を盗みそれを売つて高須の保釈金一万円をこしらえようとの相談をしたから中野は盗みに行く事を知つていた筈だと述べているけれども、それは谷島の意見にすぎず、被告人はそれを否定して「衣類を盗んで金を作る相談はしませんでした、普通の仕事をしては一万円なんて出来ないと云う様な話はしました」と述べて居る。仮りに谷島の云うような相談をしたものとしても同人は「別にその時は何時何処で盗もう等と云う話はしませんでした」と述べているから本件窃盗行為については被告人との間に意思の連絡がなかつた事実が極めて明かである。被告人が谷島が盗んで来た本件賍品の隠匿乃至処分について協力した事実は認められるが、これによつて被告人を判示第一の窃盗の共同正犯と認定することは不可能である。尚判示第二の事実についても被告人は犯行を否認して居り、且、これは相被告人谷島も亦盗んだものではなく借りたものであると極力主張していることは昭和二十四年十月十五日附司法警察員に対する同人第一回供述調書(記録六八頁)中に同人の供述として「友達の中野を誘つて二人して乗合自動車で土浦まで来ましたが、何処と云う古物屋の知合もないので二人して市内を歩く裡に看板広告を見付けまして二人で寄り衣類を売り度いと申しますと、其処の主人が見知らぬ初めてのお客さんでは、飯米通帳でもなければ買う訳に行かぬと申しますので、己むなく出て来て私も色々考えましたが他に知人なく何うしようかと思つたのです、その時考えついたのが昨年中に私と一緒に植竹の仕事場で働いた男で土浦市三好町の神庭和久と云う人があり私はその男と共にその家へ来た事がありますから、そこへ行き同人の飯米通帳を借りて来て見せ衣類を売ろうと思つたのです、左様なことを考えて直ぐ中野と二人して三好町の神庭の家へ行つたのが十三日の午前十一時頃でした、神庭方ではおばさんが一人居たので会いますと、おばさんは私の顔を覚えて居りましたので家の入口の座敷に腰掛けたまま話して居りました、和久さんの事を尋ねたら小菅刑務所に居るとの事でした、そんな事を話してから私はおばさんに自分の持つて居た風呂敷包を見せて、此の着物を古物屋へ売りに来たんだが飯米通帳を持つて来なければ駄目だと断られたから一寸の間貸して呉れと云う様なことを申したのです、するとおばさんは座敷の方からお米の通帳一冊を出して来て貸して呉れたので、それを持つて再び中野と共に木村屋古物店へ着物を売りに行つたところ、其所へ警察の方が二人参りまして私達は怪まれ衣類の事や米の通帳の事で尋ねたいからと云うことで警察まで一緒に来たのです」との記載があるし、同年同月十九日附同第二回供述調書(記録七三頁)及同年同月二十四日附検察事務官に対する同人の第一回供述調書(記録七三頁)中にも右同旨の記載があり、且又被告人の昭和二十四年十月十五日附及同年同月十九日附の各司法警察員作製の供述調書中に被告人も亦右と同様の供述をした旨の記載があり、尚同年同月二十五日附被告人に対する検察事務官作製第一回供述調書中には「飯米通帳は私は知りません」と供述して居り、又同月二十七日附同上第三回供述調書中には「飯米通帳の事ですがその盗んだ衣類を売るために飯米通帳を借り様と話し合つて神庭の処へ行つたのですが、神庭のおばさんが家に帰つて来た時には私はおばさんとは余り知つて居ませんので外へ出て中には谷島一人行つて居たのでありますが、しばらくしてから谷島が出て来て借りて来たと申して私に渡してくれたのです、それですから私は借りて来たものとばかり思つて居りました」との記載によつて明らかである。これによると判示の飯米通帳は決して盗んだものではなく借りたものである。尤も神庭クメの供述調書によると同人は貸した事実を否認しているけれども、調書によつて窺われる谷島と同人との関係及び同人の家庭の模様から推察すれば貸したに相違ないけれども警察沙汰になつたので貸したと云えば自分も叱られるから嘘を云つたもののように認められる。若し果して盗んだものと仮定しても谷島が借りて来ると云つて神庭方に一人這入り被告人は外で待つて居たことが前掲被告人の供述によつて明らかであるから、これも亦谷島単独の犯行であると認めなければならない。それ故原審が被告人を判示第一及第二の窃盗の各共同正犯と認定したのは何れも重大な事実の誤認であるが原審は何故に斯様な誤判をしたのであろうか、これは前掲被告人の公廷に於ける冒頭陳述を捉えて公訴事実を全面的に認めた自白として判示事実認定の証拠としたからである。蓋し被告人の公廷に於ける所謂冒頭陳述の措信し難いことは事案の繁簡難易を問わず吾人の経験則上極めて明白であるから固より審理の仕方及びその程度は原審の自由であるとは云え、何ら具体的に起訴事実の詳細にわたつて審理しないで漠然とした被告人の冒頭陳述を公訴事実の自白と認め断罪の資料とするが如きは最高度に基本的人権を尊重する新憲法に淵源して、実質的真実発見を理念とする新刑事訴訟法の精神に反するものである。然るに原審が而も被告人は検挙された当初から一貫して犯行を極力否認し、且それについては叙上の証拠があるのに之を無視して何ら具体的の審理を行わず、只前掲被告人の冒頭陳述を採つて犯罪事実の自白とし事実認定の証拠に供したのは、審理不尽の違法は勿論、経験則無視による採証の法則違反(最高裁判所昭和二三年(れ)第一八八号同年七月二〇日第二小法廷判例)であつて、これが前叙の重大な事実誤認を招いた原因である。而して右は何れも原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄さるべきである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例